中国においても過去には飢饉や孝行、薬用、儀礼などでカニバリズムが行われたとされ、文献にも記されている。 古くは『韓非子』に「紂為肉圃、設炮烙、登糟丘、臨酒池、翼侯炙(炙り肉)、鬼侯臘(干し肉)、梅伯醢(塩漬け肉)[12]」という記述が見られる。
『史記』にも、飢饉や戦争により食料が無くなると、自分の子を食うに忍びなく、他人の子供と交換したのち絞め殺して食べたという記述が残っている。 三国時代にも人肉食が見られ、『魏志程昱伝』には、略奪した糧食に人肉が含まれていたために程昱が出世を逃したという記述がみられる。これらの記述は、同時にまだ人肉食がタブー視されていたことも示している。
しかし唐代以降はやや敷居が下がったと見られ、『資治通鑑』には人肉の市場価格が二十年で数十分の一に暴落した記録がある。 また自らの肉を病気の夫などに食べさせることが美談として称賛され、元代の『事林廣記』には、その行いに政府が絹や羊や田を与えて報いたという記述がある。
明の時代の李時珍による『本草綱目』52巻人部には、人肉をはじめ人間由来の漢方薬が記されている。特に宮廷を中心として、女人の血から作った薬(仙丹)が強壮剤としてもてはやされた。不妊で悩む世宗の代には、宮女に投薬してまで出血を強要したため、多くが衰弱死したという[13]。 民間では、同時代の『南村輟耕録』に、戦場における人肉食の実例と調理法が多岐に渡って紹介されている。この食事方式を採用した隊では戦果が食事に直結するため、大いに士気が高揚したという。
清の時代にも依然として人肉食が残っていた。古来より凌遅刑(千刀万?)という全身を切り刻む処刑方法が存在したが、刑場近辺で死刑囚の肉片が食用ないし薬用に供されていた記録があり、廃止された1905年には北京で撮影が行われている[15]。著名人が同処刑後に食された事例では、明朝の劉瑾・袁崇煥のものが挙げられる。前者には民を苦しめた報いという側面があったが、後者は、名将として有名であった袁にあやかろうという意図もあったとされる。 宮廷でもしばしば人肉食が行われ、高官が嬰児の肉を好んで調理させた逸話が伝わる。著名人では、西太后が病の東太后の歓心を買うため肘肉を羹に供したという(左の肘に包帯を巻いた上での自己申告であり、真偽は不明)。
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小説でも中国四大奇書のひとつである『西遊記』の人肉饅頭や、『水滸伝』の人肉食の記述がある。『三国志演義』には「劉備が曹操に追われてある家に匿われた時に、その家の主人が劉備に献上する食料がなく妻を殺害し、その妻の肉を劉備に献上しそれに感動した劉備はその後その家の主人を高官にした。」との記述があり吉川英治著の『三国志』でこの記述の際には、中国の人食文化に付いて触れている。ただし、こういった小説の記述を人肉食の証左とできるかは疑問が残る。
また、文化大革命時に於いても粛清と言う名目で人肉食が広西等で白昼堂々と行われていたと言う報告[18]がある。
現代の中国では食人はタブーとされており、違法である。堕胎された胎児などを食べる文化が現存するという説がある[19]が、トリック写真やパフォーマンスの一部だと判明した事例も多い。香港やマカオでもしばしば食人事件が噂され、盛んに作品に翻案された。香港映画『八仙飯店之人肉饅頭』[20]はその一例である(実際の八仙飯店殺人事件では、被害者十名の胴体が発見できなかったに留まり、人肉食は立証されていない)。 また2008年には香港でもこの映画を思わせる事件が発生した。少女を殺害し、遺体を切り刻み肉と内臓をミンチ機で細切りにしトイレに破棄し、手足の骨は肉屋の店頭に並べるという猟奇的な殺人も起きている